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病院と春

更新日:2021年4月16日


この前の検査から、なんとなく、頭がぽはんとなっている状態が続いている。造影剤の副作用なのか、春だからなのか、あまり理屈が分からない。分からないというより、考えることができないような感じ。


ふと、おばあちゃんのぽはんも、こういう感覚なのかな、と思う。



今日の検査は、絶食かつ絶飲とのことだったので、昨日の夜は不安だった。水分を断つことって、つらそうで、こわい。と、ちゃんと塩分控えめの夜ご飯をたべた。


朝寝ぼうをした。

仕事だったら完全アウトな時間であった。とても深い眠りだったので、検査のこと(水分を断つこと)をすごく不安に思っていたのにも関わらず、病院に行くことも、休みであることも、今わたしはどういう暮らしをしていきているのかも、起きたてではわけがわからなかった。


頭のなかのもやが晴れた瞬間から、病院で受付を済ませるまでは、体感5分くらいしかなかった。「相対性理論。」と、この物理理論さえ過ぎった。



血圧の測定は、今日も失敗。結果のレシートさえ出てこなかったので、なさけない気持ちとなった。血圧測定に一喜一憂する大人になっちゃっている。


腹部エコーとMRIを一日で行う日程であったので、広い病院内でひとりきりのオリエンテーリングをすることとなった。どきどきした。


腹部エコーの部屋は、薄暗い、クリーム色のカーテンの海だった。いくつものカーテンが小さく空間を分け、通路が見当たらない。案内してくれる看護婦さんの背中を見失い、揺らぐカーテンのなかを、恐る恐る掻き分けて進む。それぞれの小さな空間に、みんな、存在を潜めているような気配があった。

縦長の部屋の端まで到着すると、看護婦さんと検査士さんがいた。複数あるパソコンの水色の閃光にやられ、すこし、しょんぼりとなる。


みんなのように、わたしもひとつのカーテンに収められて、検査着へ着替える。丸い椅子に座り、看護婦さんの声を待ちながら、ちょうど一年前に観た映画の後味を思い出していた。

ペラペラの検査着が、将軍の肩衣のようだった。


看護婦さんに呼ばれ、ベットに寝そべる。

検査士さんから、呼吸の仕方を指導され、検査が始まった。

目を瞑りながら、言われるがまま、呼吸をする。息を止めることは容易なのに、お腹を膨らませることがむずかしかった。自分の身体の操縦方法が分からない。言われたことができているのか、できていないのか、そういうことが分からない夢を見ていたのか。

気づくと検査は終わっていた。あたたかいタオルを渡され、身体を拭く。


次のポイントを目指し、再びひとりきりのオリエンテーリング。

上手いこと、看護婦さんから受付のお姉さんに案内を繋いでもらいながら、MRIの待ち合い席まで辿り着く。


新人の看護師さんたちとその指導をする看護婦さんの集団が、さわさわと近くに来た。爽やかな色の制服が眩しくて、初々しく、立派だった。


前回のCT検査のときよりも壮大なシルバーの扉。宇宙感がつよまっている。

奥の更衣室に案内され、今度はパジャマのような検査着に着替えた。


技師さんから、なみなみと透明の液体の入った大きめの紙コップを渡された。

「少しずつで大丈夫なので、造影剤を飲んでいてくださいね。」

造影剤ふたたび。あったんだ、飲むバージョン。

なにの匂いもしないけれど、明らかに水ではないもったり感のある液体で、一度でも味わってしまったらもうきっと飲むことってきできないな、と思い、一気に飲み干した。ずっと水分を摂っていなかったけれど、飲み物として気分の良いものではなかったなあ。


MRIの機械がある広い部屋へと案内され、白いトンネルから出ているベットに横たわった。

部屋中、なんだか新しい家具がいっぱいある匂いがしていて、(IKEAの匂いだ!)と、ハッとしたけれど、誰にも何も言えない状況だったので、マスクのしたでちょっとだけ口角を上げてごまかした。


ずっとどこからか流れている「ズンチャ!ズンチャ」という激しいビートの説明以外を受けて、検査が始まった。


以前、脳神経外科でMRI検査を受けた時に気づいてしまったのだけど、

体へ重石を乗せられ、白い狭いトンネルの中、「ピコピコ」「ガガガガ」と聴き慣れない音を聞かされ続ける謎深い状況が、わたしの笑いのツボにちょうど入ってしまう。気を緩めば満面の笑みとなってしまいそうな自分が、冷静にこわいのだけれども、堪えれば堪えるほどに面白くなる。なんでなんだろう。


「深呼吸しないでくださいね。」とのことだったので、深呼吸と普段の呼吸の間のギリギリのところを探し、落ち着こうとしていたら、おおきなクシャミをしてしまった。深呼吸していた。

もう一回、検査が最初からになったらどうしよう、と、不安になったけれど、無事に終わった。





今日までの、あらゆる検査を終え、重労働後のようなどっとした疲れと、清々しさがあった。



自分のことを讃えたいと思い、遅めのランチとして、ジャマイカのカレー屋さんに立ち寄った。店内にお客さんはいなかった。


検査の結果を聞きに行くだけの病院ってやだなあ。と、おもっちゃったのがやだったから、一番辛いカレーを頼んだ。



ロイヤルカシミール。


美味しかった。












-------



一週間が経ち、検査結果を聞きに病院へ。


時間帯のせいか、とても混雑していた。


お気に入りの本をゆっくり読むことができる、と、うれしかったけど、なんとも言い難い気持ちのわるさが込み上げてきて、そわそわした。

脚を組んでいるのもやめて、真面目に座っていようと姿勢を正した。





精密検査を受けることが決まってからの一ヶ月半、(しんでしまうこともあるのかな)と、考えることもあった。


7割の「そのときは仕方ないか」と、3割の「そうなってみないとわからないな」。


(どなたかをきずつけたいわけでは決してないが、)いま、わたしはいきることを諦めやすい状態にあるなあ、と、そのたびにわかるのだった。(これが自分以外のだいじなひとであった場合には、気が気でいられないし、かなしいな、と、心底感じてしまうのだろう。)けれども、前向きになろうかしらとおもうたび、胸がぎゅっと縮まってしまうんだった。



待ち合いで感じているそわそわは、「そうなってみないとわからないな」の「そうなったとき」に、自分がどんな風になるのか想像が出来ていないことへたいする不安によるものであった。



よくもわるくも、なるようにしかならない。時間は進む。つらくても、たのしくても。たのしくても、つらくても。






待ち合い室にアナウンスが響き、呼ばれた番号の部屋へ入る。

椅子に座った瞬間、「今回の検査結果では異常は無いようですね。」とお医者さんから伝えられた。



「そうなんですね。」と、返事をしながら、心のなかでも(そうなんだ。)とだけ、思った。



より検査を希望するのであれば、入院する必要があるとのことだったが、話を聞くかぎり不要に思えたため、断った。お医者さんとのやりとりは、5分程で終わった。





精算機に診察券を入れると、240円のお会計だった。


とても240円では支払い足りない、いろんな気持ちとなったし、考えさせられる期間だったな、と振り返ったりしながら、精算を終えた。







検査をすることになったと伝えていた母と叔母に、結果を伝えると、「よかった。とてもほっとした。」との返事があった。


二人にほっとしてもらえて「よかった。」と思った。



きっと時間差で、わたしも、「ほっとする」んだろう。









病院を出ると、曇り空ではあったけれど、薄いピンク色の桜が満開となっていた。静かだった。

ゆっくりと気持ちが上向いていくような光景。


きっと、幸先は良い。







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