17時には、夜だった。
夜は青色だと思っていたけれど、
今日の夜は 黒色だと思った。
きっと、
昼間のお茶事のせいでしょう。
夏頃から、職場へお客様としていらしていた小学生の頃の先生。
現在の担当の業務のこともあり、わたしは先生の先生となって、再会をした。
おもしろく繋がった再びの縁に、驚きと嬉しさがあった。
定年退職を迎え、ご自宅で茶道教室を開いている先生は、変わらないハツラツとした明るさ漲る方だった。ほっとした。
一方でわたしは、
小学生当時、父の死の残響で、大人のひとたちへ困惑と恐怖があったことを思い出した。みんなが、各々に正しいと主張する考えや想いを、かなしく、こわいと思っていたこと。(今では、みんなの、各々の父との関係性も理解ができるので、傷つくことは減ったと認識している。)その残響は時折、家庭の外へも溢れていった。先生を巻き込むこともあった。
茶道教室へ行きたい気持ちはあったけれど、誘っていただく度、引け目のようなものを感じた。どきっとした。
11月。
タクマくんのいないトーキョーへ
会いたかった大切なひとたち。
会いたい気持ちで、
向かうことができた。
(今も、確認作業のような毎日の中です。この前の日曜日にはうっかり『夢見るピノキオ』を見てしまって、オープニングでうわぁってなったけど、美味しそうな中華のフルコースをやっていたよ。「連絡だ!」って思ったけど、「こういう時に、連絡していたんだった。」と思っただけだったのが、さみしかった。
あまり多くのこと、考えられない )
大切なひとたちと過ごしたトーキョーでの時間は、タクマくんとの時間がそうであったように、人生のハイライトばかりだった。
やさしさを向けてもらっていることが分かる度に、(やさしくありたい)と強く思いました。
会うことの大切さ。
会えることのとおとさ。
会っているじかんのいとおしさ。
“ やさしさ ”について、
わたしなりの真理も 得たのだった。
気軽に身軽に「散歩しよう」と連絡を取り合って、顔を合わせ、他愛のないできごとを、丁寧に積み重ねて生きていくということ。
そんな暮らしが、大切なひとたちとできたなら、とても素敵だと想像した。
なので、
わたしは、クロスイマと、洋服を作ることにしました。
すぐにいろんなことが決まった。
きっと、これから、それはそれは素晴らしいこととなるよ。
と同時に、
様々なものごとへ思いめぐらせて、「侘び寂び」について、
深く理解したい気持ちとなった。
「侘しい。」と、「寂しい。」
今、チリチリと痛い感覚が続いているのは、これだった。
研ぎ澄まされるような、そぎ落とされたような、わたしの全ての感覚。
絶望のとき、ものごとが明瞭に視える感覚を、わたしはよく知っている。
美しさへの静寂。
先生へ連絡をしたのは、12月のことだった。
茶道を始めることにしました。
ひとつひとつのことが、繋がっていく。
初めてのお茶時。
炭手前の所作を眺めながら、
わたしは、(炭は黒色なのだなあ)と思った。
深い青色でも、深い緑色でも、深い紫色でもない、黒色。色を見るとき、その色の奥の色を見つめてみる。
本当の黒色は、白色だった。
そんなことを想いながら、
今日もおじいちゃんとおばあちゃんに会いに行く。
真っ暗な道を進む車の中、
ぽつりと、高く小さな灯りがあった。
街灯と、対話。
(人の住んでいない山のふもとにて、
君は何を照らしてくれているのだろうか。あたたかなひかりですね。)
夜、空を見つめると、青色です。
夜、街灯を見つめると、黒色です。
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